ふたりのマニアが描いたふたつのG(と、ひとつのG)の共通点(+α

 『GODZILLA KING of the MONSTERS(以下「ドハゴジ」)』観ました。

 

真正面から(ほぼ)徹底して「怪獣プロレス」で、とても楽しく良いなあ、と。

というところでふと『シン・ゴジラ(以下「シンゴジ」)』を思い出しまして。

 

『シンゴジ』ではラスト、ゴジラ体内の放射性物質半減期が非常に短い、という発見がありました。

『ドハゴジ』では、怪獣による破壊後の世界各地では自然が急速に回復、というエンディングでした。

 

『シンゴジ』「スクラップ・アンド・ビルドで我々は復興を繰り返してきた」とありました。

『ドハゴジ』は「地球の守護者たる怪獣たちによる破壊と環境の再構築」という結論でした。

 

『シンゴジ』最後、凍結されたゴジラが復活したときには核攻撃が実施される。

『ドハゴジ』つまりは、環境破壊が続けば眠りについた怪獣たちが再び現れる。

 

 どちらも「怪獣(たち)を復活させて(復活させるような環境破壊をしていて)はならない」というメッセージがあるように感じます。

 また、2作、まったく違うような展開をしていますが、どちらもいわば「その国らしい」映画としての構成と物語に思います。


 そして、エンディングの「俺メドレー」もよき。

『ドハゴジ』エンドロール1曲めが「Godzilla」だったのには魂にきましたほんと。 

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 これ、私が怪獣映画好きになっていったほとんど原点のような、80年代くらい、怪獣映画を深夜に放送していた企画のエンディングで使われていたことで子供心に強く刺さっていた楽曲なのです。


ともあれ、共通点がある(よう)なのが面白いなあ、とあらためて思ったりするわけです。

「娯楽作品」ではある怪獣映画に乗せるテーマとして、もっとも無理がないのかも、とも。


……まあ、ただ、米脚本の限界というか何というか、「核実験で棲み処を追われた」あるいは「核実験/放射性廃棄物で巨大になった」という設定にはならないんですね、やっぱり(そこが『シンゴジ』とも決定的に違う点)。

「古代から存在していた怪獣を駆除する攻撃(それを隠蔽するための『核実験』)だった」なんですね。
エメゴジのときはフランスのせいにしちゃうし。

 

……ところで「地球環境の守護者」ということなら、平成ガメラもそうなんですよね(Guardian of the Universe)。


個人的に好きな怪獣映画5本の中に入る『G2』ラストは、こんな会話(とガメラの咆哮)で締められます。

(※『ガメラ2~レギオン襲来』は宇宙から飛来した外来種「レギオン」を倒す物語)

 

「『ガメラはレギオンを赦さない』――ガメラが守ったのは人類じゃなくて、地球環境じゃないのかな」

「じゃあもし人類がこのまま環境破壊を続けていたら……」

ガメラの敵には、なりたくないよね」